生活の備忘録 삶의 사소한 것들

終わった旅を振り返ったり、思ったことを書きつけたりします。話題はJump to Jump、脈絡なき備忘録だけどいいの!仕事じゃないんだから!!感性のストレッチなんだから!!!

私をデンマークに連れていったもの

今日は朝からおかしかった。

長雨と北向きの部屋で、洗濯物がなかなか乾かないので、近所のコインランドリーを試すことにした、土曜の朝。

一人暮らしのささやかな贅沢として、少しずつ増やしている厚手でふかふかのタオル(Marks and Web)や、大物のシーツ類を生乾きの悪循環から救うため、IKEAのプラスチックバッグにもりもりに入れて、家から5分のコインランドリーに向かった。

コインランドリーの洗濯機は、業務用だけあって、ものものしく、重厚なマシン感を醸し出していた。洗濯乾燥コースは1,500円もするのに、機械にはコインの投入口しかない。キャッシュレス決済が浸透しつつある中、15枚も硬貨なんか持ってないし、設置してある両替機は1000円札しか対応してない。こんな不便なことってあるだろうか。

しょうがないので最寄のコンビニまで歩いて、コーヒーを買って10000円をくずしたら、コンビニの向かい側の歩道では、オープンハウスの呼び込みをしている不動産屋のセールスマンが、金のネックレスのアブナげな若い男に、何事かで詰られていた。比較的平和な住宅地であるこの辺りではあまり見ない光景だった。

私が並んだレジは、前のカップルが、ネットオークションか何かに出品しているものを売り切ったのか、大量の小包を持ち込んでいて、バイト生が手間取っている。

やっと10000円をくずしてコインランドリーに戻り、再度洗濯機の説明を確認したら、ふとんコースでなくて普通の洗濯物であれば1200円だと書いてあるのを見落としていた。

1200円なら最初から持っている小銭で対応できたのに。

無駄に暑い中コンビニで余計な買い物をしてしまった自分の不注意さを呪った。

洗濯物をセットして、コインランドリーを出た歩道の数軒先で立ち寄った八百屋でモロヘイヤとトマトを買い、会計をしているとき、さっきコンビニで買ったコーヒーを取り落としてしまい、すべてぶちまけた。買う必要のなかったコーヒーを買って、八百屋でぶちまけているのが、愚かに思えて、情けなくなった。

なんだか今日は、ひとつひとつの動作がうまく次に展開せず、何かの対応で組み入れた作業があまりよくない結果を生む流れになっている。いつもどーりではない土曜の朝だった。

だからじゃないし、なんの因果関係もないんだけど、その日の夕方、三浦春馬さんの訃報を知った。

同い年で、輝かしい活躍をしていた俳優さん。同い年。

NHKの「世界はほしいものにあふれてる」での、JUJUさんとの飾らない掛け合いが本当に好きだった。木曜の、仕事の疲れがピークに達しているときに、ボー―っとテレビを観ていて、たまたま見た番組。知らないことへの興味や、「あそこに行ってみたい!」「あの国は、どんな空気で、どんな人たちで、どんな暮らしなんだろう?」日々美しくない仕事を繰り返す中で、忘れていく感性やときめきを、ふっと思い出させてくれた。

一昨年思い切ったデンマークを旅できたのも、この番組で、デンマークを取り上げていたから。その時は、日本のパン職人がデニッシュを探しまわる旅だった。一緒に、デンマークの人たちの暮らし、考え方、生活に対する哲学みたいなものを紹介していて、興味のアンテナが立った。あとは映画「リリーのすべて」に登場した美しいニューハウンの情景もあるけど。

JUJUさんと三浦春馬さんの、素直な感想や、リラックスした会話のやりとりが、沢山の元気ときっかけをくれた。例えばアンティークジュエリーの手仕事を見たとき、自分で選んだカップでコーヒーを飲んだときの、繊細で優しいひとつひとつの言葉、本当に好きだった。

 

いろんなところを自由に旅しているといいなぁ。

 

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思い出し旅4

弘大(ホンデ)で数日過ごしている間は、景福宮に行くとか、光化門広場に行くとかもなく、ショップをひやかしたり、夜は以前訪ねてすごく素敵だったカフェバーを再訪したりした。

夜は、暗い歩道の合間合間に、灯りがともったり小さな看板を出している無数のライブハウスが現れて、地下へ続く階段がぽっかりと口を開けて待っている。

私と友人はどこのライブハウスが熱い、とか弘大界隈のミュージックシーンは全く分からなかったので、とりあえずNaverで検索して出てきた、老舗といわれるらしいライブハウスに行って見た。

確か5,000ウォンでワンドリンク付きだった、ように記憶している(もう少しだったかな)。

平日だったていうのもあるけど、お客さんは私と友人しかいなかった。本当に無名の学生やフリーターみたいなミュージシャンが、誰に向ける訳でもなくやっている感じが、異物である私たちをその場になじみやすくしてくれた。

1人目は、独特な女の子。電子キーボードやシンセを使って、ドリーミイな音色を奏でる。不思議な連想の結果、「核廃棄物」という楽曲を作り上げていた。

2人目は、同年代か少し上くらいの男性。「小さい頃から、自分は、他の人たちとはどうしてもなじむことができなかった。その分、不幸じゃないといけないような気がしていた。今の方が、ラクに笑えるような気がする。」みたいなことを言っていたうろ覚えだけど。

中二病だと言われたらそれでおしまいなんだけど、他者と自己の間の居心地の悪さ、みたいなものについて真剣に考えているのって、太宰治みたいな、三島由紀夫みたいな感じがして、好きだった。

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ライブ

ふつうの人が、スムーズにこなす生活の中で気づくことも感じることもなくスルーする些末な心の動きとか、小さな違和感とかを、いちいち小石につまづくように感じ取ってしまって、しかもその小石を拾い上げてじっと考え込んでしまうような、ひとたち。

音楽として発露することで、自分を保っているんだろうなー、と思ってしまう。

同じように小石につまづくにのに、その苦しさを表現で代替するのが不得手な私たちは、その蜜を求めて夜のホンデを徘徊することになる。

思い出し旅3

去年のゴールデンウイークは、10連休だったので、大学来の友人と、もう何度目か分からない韓国旅行をした。

私と友人は、学生時代、提携している釜山の大学に留学していた同志でもある。といっても、タイミングは1年違いで、それぞれ違う時を過ごした。私は大学3回生のとき、彼女は4回生のとき。大学の専攻柄、英語圏への留学を選ぶ学生が多い中、私たちの選択はあまり戦略的ではなかったかもしれない。事実、韓国語のスキルを就職に活かせたか、今の業務に活かせているか、と言われると微妙なところ。英語や中国語じゃないマイナー言語を習得した人は、少なからず似たような感想を持つんじゃんなかろうか。

私は高校の終わりから、彼女は大学に入ってから、韓国のポップスに興味を持ち始めた。韓国ポップスから韓国ドラマ、韓国映画へ趣味の触手は派生し、深度は増しまして行った。やがて、「韓国の人々は実際どのような暮らしをして、どんなカルチャーを持っているの?この目で確かめたい」という情熱を持つようになる。自分のそのときの感覚は正しかったと今になって改めて思うが、日本のテレビが伝える韓国の姿はどうも違うような気がした。

元々外向きでもないし、留学なんて外交的でタフで有能で経済的余裕がある人が行くものだと思っていた私は、優柔不断に悩みつつも、この情熱のおかげで留学にこぎつけることができた。

恥ずかしながら釜山に渡航するまで韓国語をろくに話せなかったため、今はもう休刊してしまって久しいアルクの「韓国語ジャーナル」を大学図書館で借りては(学生には値が張った)、渡航直前に付け焼刃の勉強をし、(自分で決めたのに)来るべき釜山での1年に戦々恐々としていたのを覚えている。

関西の大学に通っていたため、いったん下宿の家財道具を九州の実家に引き払い、博多港から高速船(!)で釜山へ渡航。高速船の中でも、往生際悪く「韓国語ジャーナル」を握りしめ、なぜか秦基博のアイを聴いて心を鎮めていた。

部活もサークルもやり遂げた経験がない私にとって、身一つで釜山に飛び込んで、恥ずかしい思いや情けない思いをしながらも、多くの人に助けられ、韓国だけでなく台湾や香港の友人を得、韓国語を習得し、講義を受け、単位を修得してひとまず留学やり遂げられたことは、かなり人生の糧になったと思う。

そういう経緯もあり、私と友人は自身の青春の記憶もあいまって韓国に並々ならぬ思い入れがある。大人になってからも、共通の友人の結婚式が釜山であったり、用もなくソウルに行ったりする仲なのだ。

去年の10連休は、思い切って5日ほどソウルに滞在した。ホンデのあたりに安いゲストハウスを取り、ぶらついたりミニライブに行ったりして過ごした。

ホンデは、弘益大学(弘大:ホンデ)という名門芸大のことで、感度の高いショップやカフェが立ち並んでいるエリアは、歩き回るだけでも楽しい。所謂”대학가”学生街なのだけど、大学生だけでなく、高校生や大人たちも遊びにくる、エネルギッシュで活気ある場所だ。道端でパフォーマンスする若者もいて、クリエイティビティに溢れている。

夜も屋台や小さな占い屋が密集した深夜まで賑わっているし、その傍らには若者に人気のクラブがあったりする。メインの賑やかな通りは参道のようにホンデの正門に伸びているが、少し通りをずれると、ひっそりとライブハウスが出現したりする。

弘大に正門から東へしばらく行き、地下鉄駅の方へ下る。午前中に通れば呆けたような雰囲気のその通りは、落日とともに生気が宿る。一見ブックカフェのように見えるお店の地下にライブ会場があったりもする。まるで闇酒場のようで、えも言われぬ興奮を覚える。

まさに「地下空間(アンダーグラウンド)」なのだった。

 

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ホンデのカフェ。地下へ向かう階段を降りると、小さなライブ空間がある。

 

思い出し旅2

家は比較的大きなバス通りに面しているため、窓を開け放すと、結構賑やかしい(車とかバイクとかバスとかの走行音で)。ベランダで風に揺れる洗濯物の向こうに、街路樹が1本見えるのだけど、いつのまにか新芽を出して、それが日を受けてキラキラしている。新芽って、濡れていないのになんであんなに瑞々しくて、キラキラしているの?空の薄い青色と相まって、視覚的ヒーリング効果がこの上ない...

ゴールデンウィークは友人やら姉やらを誘って有田陶器市に行くのがここ数年の恒例行事になっている。陶器市の間だけ歩行者天国になる有田駅上有田駅までの道を歩きながら、お店や屋外で売っている陶器を眺め、風情ある町並み、小川を流れる清流、その傍らに咲く可愛らしい草花から相当の癒しを頂くのを楽しみにしていた。加えて行き帰りに利用する特急電車から見える風景は、山の新緑の瑞々しい色が目にも眩しく、毎年のことながら見惚れていた。

私の初夏は、有田陶器市を以てスタートすると言っても過言ではない。そうに違いない。

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2019年5月 有田陶器市 この風景が見たくて行っているようなもの

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2019年5月 有田陶器市

残念ながら今年の有田陶器市は延期となった代わりに、WEB陶器市なるものが催されていて、私が最近気に入っている今村製陶さんのマグカップ(3月にドライブで立ち寄って、 迷った挙句買わなかった)も福袋の中のアイテムとして出品されていた。

もう少し早く気づいていれば陶器市らしいお得価格で購入できたであろうに。ポヤーっとそんなことを考えながら、粛々と連休最終日を消化し、明日からの勤労にむけて調整をしているところ。

緑と日射しの美しさと言えば、去年の夏に訪れたトルコのカラッとした太陽と、それを受けてキラキラ光るマルマラ海オリーブの木を思い出す。

イスタンブールを旅行した時、日除けのために植えられてるブドウの木が、当たり前のよう実をならせていて、その日陰におかれた小さな椅子に腰かけてチャイを飲む人たち。イスタンブールの町の人々の、本当に素敵な日常の光景だった。

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イスタンブール トプハーネ駅付近

 

思い出し旅


30歳にもなったので。東京オリンピックが決まった時(西暦何年のことかもうわからん)から、「東京オリンピックの年には30歳かー。どんな大人になっていることやら」と思いを馳せてきたものの、私が30歳の年には、東京オリンピックは開催されない事態となり(延期)、開催されないけど、私は無事30代に突入した。

スポーツにはさして興味もないから、落胆も失望もないのだけど、人生の節目と東京オリンピックをセットで考えてきた私にとっては、時空の歪みが生じたような、妙な気分だ。

昨今の状況では、友人と楽しんでいたちょっとしたピクニックもどきや、土曜の夜の映画館、フンパツの外食等々、平和な日常が一番大切で尊いけど、ひとり出かけた冒険みたいな旅行もすごく恋しい。

ということで、いつかまとめようと思ってた旅の色々を、もう一度租借しながら楽しもうと考え、mixi以来のブログを始めることにした。

撮りためた写真とともに独り言のように続けていけたらよいでしょう。生活の小話も楽しく語れたらなおのこと。

 

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2019年8月 イスタンブールはスルタン・アフメット地区周辺のミニホテルテラスから望むマルマラ海。パリっと暑くて、無数の船がゆったり行き交っていて、ときたま汽笛が聞こえる。本当に美しい風景